会社を辞め、1〜2週間後は、不安に包まれながらもワクワクしていた。そして、色々なものが見えるようになった。視覚情報が目から入ってくるようになった。
仕事に従事している時は、その観点から世界を見ている。自分が見ようとするものだけが見えていた。
そこからフリーになり、今は頭が1つのものに集中していないからか、目に入る沢山の情報がそのまま脳に届いている。
例えば働く人の表情がよく見える。こんなジャンルの仕事が世の中にはあったのか。どういう人たちがどんな気持ちで働いているんだろう。
道行く人の表情がよく見える。この人はどんな人で、職業は、性格は、環境は……。
そして空。一番よく目に入ってくるのは空だ。空がこんなにどこにでも広がっていると初めて気づいた。どこで見ても吸い込まれそうになる。空は地球と外(=宇宙)の接点。地球にも外があるんだなぁ…。
なんてことを再発見してフィーバーしていたのは2週間目までだった。
20日後、やっとこの1年でかかる費用の全体を試算した。お金の問題がシビアにじりじり襲ってくる。黒い靄に飲み込まれる気分だ。
税金があまりに高い。
留学するには「留学費用」だけが必要なのではなかった。
「働かない期間の給料のマイナス」や、「会社が負担してくれていた税金」も全て貯金から出さないといけないのだ。
仮に留学費用が200万円だとすると、用意しておくお金は〈留学費用200万円〉+〈年収○○万円(日本の税金・家賃・生活費)〉+〈負担が増える税金(約50万円〜)〉で、留学費用以上のものがズシリとくる。
健康保険なんて年間100万円ほどするんだから恐ろしい。(地域差が大)その他にも住民税・所得税・国民年金……。
思い出すのは、知り合いがよく使っていた「資本主義」という言葉だ。「資本主義」のために自分を曲げて働かないといけない。もっと大切なものがある気がするのに、働くことは利益とカネを追求すること。人生を、金という一つの物差しのために消費することに、ゲンナリするのだと。
今回、働かない人間にも「資本主義」は重くのしかかってくることを知った。この命は金で買っているのだった。この世に生きている限り、「お金」に関する悩みからは解放されないのかもしれない。
その一方で。
お金の〈恐怖〉に惑わされたくない。
お金が無いのが恐いからと「時間を切り売りして思考停止でとにかく働く」のでは、退職したことが本末転倒になる。損得では計れない、この時間を大切にしたい。
せっかく先人達が平和と自由をくれたのだ。重税に苦しむ士農工商の農民ではない。首を跳ね飛ばされる中世ではない。この恵まれた時代に生まれてこられたのだ。感謝してもしきれない。
本を読む。新しい仕事にトライしてみる。副業になるものを見つける。
自分を見つめ直し、新しいこと・挫折していたことをやってみて、新たな人たちとの関わりを作ることにあてたい。
このブログもいつかその一つになりますように。
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